8/14~16上洛してきました。
今回のメインは、大雲院にある信長様のお墓参りです。
初日。
東京で途中下車し、PLAYSTATION® SignatureのPSP用数奇屋袋(麟鳳襷紋)を購入。お稽古用のお仕覆で、縞麟鳳金襴という裂地のものを持っているので、お揃いっぽくて欲しかったのです。
ここの店ってば、通販はしていないし、土日休みだしなので、田舎在住の私には買えないと嘆いていたところ、今回の旅行なら平日扱いということで寄ることができ、無事手に入れること出来ました(^^)

この写真じゃ、どれが麒麟でどれが鳳凰の絵か分からないと思いますが(^^;
京都着が3時頃になったので、一旦ホテルにチェックインし、その後本能寺跡へ行ってみました。
少し前のニュースで、本能寺の変の際焼けたとみられる瓦が発見された(京都新聞電子版)というのを目にしていたので、現地を見てみたかったのです。
付近をウロウロしていて見つけたマンション建設予定地は1箇所だけだったのですが、発掘作業したような痕跡は見えないので、ここではないのかなぁ。


近くの店先で洗い物をしていたおじさんに聞いてみたのですが、発掘されたという話自体全然ご存知じゃなかったらしく、収穫はなかったです……
ところで、上記ニュースの本文で、「瓦の中に、「能」の異体字で「ヒ(火)を避ける」意味で、現在も本能寺で使われる」とあるのを見て、その字を寺で採用したのは最近のことなのでは?と疑問に思っていたところ、同じく京都新聞のコラムに、「異体字使用は火を避ける意味もあるが、信長時代以前から。「能」の行書体くずし字として、昔から書かれている」というのを見て、腑におちました。
ついでに、天正9年の御馬揃へにて、綺羅綺羅しく花やかなる御出立をなされた殿は、本能寺を辰の刻に出でさせられ、室町通りを御上りなされたと信長公記にありますので、その経路を撮ってみました。
本能寺の出入り口がどの辺にあったのか分からないのですが、
上記地図では、六角小路を通ったことにしてありますので、これに準じて、油小路と交わる地点から見た六角小路と、

六角小路と交わる地点から見た室町小路の写真です。

……往時、殿がご覧になったであろう面影は全くありませんが(^^;
晩御飯は新風館の中にあるkilalaで、冷奴と冬瓜のたき物を肴に、梅酒と日本酒をいただきました。カフェレストランっぽい雰囲気の入り口なので、女性一人でも入りやすいし、肉料理はないし、お酒はあるしで、私には都合のよい店でした。
今回の宿泊はモントレ京都。
レディースフロアーということで客室内では最上階で見晴らしが良く、窓から左大文字と船型の形が確認できたので、あと1泊していれば、部屋から送り火が鑑賞できたのでしょう。残念ながら休みが16日までなので、送り火を見ることできませんでしたが。

不思議だったこと。アメニティー入りのポーチが、最初2つあったので、これは一日目と二日目の分だろうと思っていたら、二日目外出から戻ったところ、4つに増殖していたのでびっくりしました。シングルの部屋(どうやらスタンダードシングルではなく、スーペリアシングルを割り当ててくれたらしい)を一人で予約していたのに、何故二人分用意してくれるのだろう(^^;
まだ新しいのでキレイだし、今回のようなバリュープランで毎回泊まれれば良いところだと思います。
2日目。
ちよまさまと待ち合わせし、まずは東山の白川沿いにある、光秀の首塚を詣でました。
木像を納めた祠と、供養塚があります。


殿を討った人物なのに、私の憎悪の対象とならないのは、インテリで苦労人というイメージが強いからでしょうか。
近くの知恩院までテクテク歩きます。
ここにも殿が陣を構えられたことがあるそうですよ。
続いて、今回のメインである大雲院です。
ここには殿と信忠公のお墓があるのですが、普段は非公開です。
現在特別公開中ということで、これを目当てに上洛いたしました。

お墓以外のことは特に調べずに訪れたのですが、殿から信忠公宛のお手紙(「信」という一字だけのご署名が微笑ましい)とか、安土宗論の際勝利した貞安上人に下賜された軍配だとか、金林寺の棗だとか、殿の肖像画だとか、ステキなものが沢山展示されていて、見応えのある楽しい場所です。
大雲院は、元々は御池御所跡に建てられたということで、当時の寺内の古地図も展示されており、「池」と書き込まれていたのですが、これが、最初に殿が二条殿御構へ御普請された際に、信長公記に「泉水・大庭の眺望 面白くおぼしめされ」となっている池なのでしょうか。
(殿が京都御座所として御普請された二条殿(御新造)を、後に誠仁親王にお譲りなされたのが、二条御所(御池御所)であり、信忠公終焉の地であるわけです)
他の観光客にとっては、お墓よりも祇園閣と呼ばれる、鉾の形をした妙な屋根の建物の方が目当てでありましょう(笑)
これは大倉財閥の創始者が別邸を建てた時のもので、伊藤忠太の設計による建築です。
内部にはシルクロードの壁画や、怪物の彫刻もあり、面白いです。
3階まで登ると眺望が開け、京都市内を見下ろせます。風も心地よかったです。
観光場所としてはマイナーらしく、他の客は少なく、ゆっくりと見学できて良いところでした。
その後は、平安女学院の敷地にある、殿が将軍義昭の為に御普請された二条殿跡をチェック。

付近の京都御苑内に、二条殿の石垣跡もあるらしいのですが、探し出せず、あまりの暑さに丹念に捜索しようという気が起きず断念(^^;
タクシーで晴明神社まで移動。久しぶりの晴明神社です。前回来た時無かったものは、厄除桃ですね。本当にくるたび新しいものが増えていてすごいなぁ。

暑さで体力も思考力も尽きたので、テキトーなバスに避難し、目的もなく京都駅に到着。一息つけそうな場所を求めて彷徨っていたら、ポルタ内で影絵の展示をしていたのでちょっと覗いてみました。
子供向けだからだろうけど、「篁さん」とか、えらく気さくに呼ばれているのがツボでした。
ちよまさまのダンナさまとも合流し、黄桜が経営するじろく亭で夕食。
お酒も色々飲めたし、地元じゃ見かけない食材である鱧の揚げ物等も美味しかったし満足です。
高台寺に移動し、百鬼夜行展を鑑賞。夜は妖怪達の絵を、塀に映し出すという趣向でした。
3日目
建仁寺へ。タクシーを利用したら、運転手さんに、渋いところに行くねと言われましたよ。
ここにも、信長様の供養塔があるらしいのですが、発見できませんでした(^^;
でもゆったりとした境内や、方丈内を散策するのは楽しいので、涼しい時期にじっくりのんびりと見て回りたい場所です。
飾瓦だとか鬼瓦だとか見るのも好きなのですが、炎天下の中、かなりいい年した女が、寺の全景ではなく、どこを撮っているのか分からないところにカメラを構えてニヘらとしている姿は、他人から見たら大分不気味なことでしょう……
裏手には、殿の弟である有楽斎の墓がある塔頭があります。

本能寺に寄って、殿のお墓に手を合わせた後、京都を離れ、名古屋の徳川美術館で現在開催されている「天下取りへの道 戦国の武将たち」という企画展を見てまいりました。
目的は、殿がおねに宛てたお手紙です。
「のふ」という署名が愛らしいです。
「天下布武」の印が押してあるのは、この手紙をサルに拝見させてやるがよい、という意味合いをこめているらしいですよ。気配りの利いたお手紙ですよね。
殿のお優しさが垣間見られることもさることながら、上司に夫の愚痴を吐く、おねの豪胆さというか、おおらかさも感じられます。
目的はこの手紙だけなのだからと、名古屋の滞在時間は2時間しか設定していなかったのですが、思っていたよりも駅から遠くて、往復するだけでも大分時間がとられてしまい、他の展示物をちゃんと見ること出来なかったことが悔やまれます。常設展示物も面白そうなものが沢山あったので、機会があったらじっくり見て回りたいところでした。
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